寝そべったりなんかして、読んでもらいたくない

5つか6つのときから本は寝る前に寝っ転がって読んでいたので
今でもだいたい本を読むときはごろんと寝そべることが多い。

寝転がって本を読むことに関して考えるとき僕はいつも
サン=テグジュペリのことを思い出す。
それは、「星の王子さま」のなかに

この本を、寝そべったりなんかして、読んでもらいたくないからです。

という一節があるからだ。

僕にとって星の王子さまといえばこの部分である。
僕はこの一言を読んでサン=テグジュペリはなんてすばらしいんだろうと思った。
僕の好きな人間というのは、そういうことを言う人間なのだと思う。


以下がその部分の引用

 だけれど、ぼくたちには、ものそのもの、ことそのことが、たいせつですから、もちろん、番号なんか、どうでもいいのです。ぼくは、この話を、おとぎ話みたいに、はじめたかったのです。そして、こんなふうに話したかったのです。「むかし、むかし、ひとりの王子さまがおりました。その王子さまは、じぶんより、ほんのちょっと大きい星を家にしていました。そしてお友だちをひとり、ほしがっていらっしゃいました……」
 こうすると、ものそのもの、ことそのことをたいせつにする人には、話がもっともっとほんとうらしくなったでしょうに。
 というのは、ぼくは、この本を、寝そべったりなんかして、読んでもらいたくないからです。ぼくは、王子さまとの思い出を話すのが、ほんとにかなしいのです。あの友だちがヒツジをつれて、どこかへいってしまってから、もう六年にもなります。あの友だちのことを、いま、ここにこうして書くのは、あの友だちを忘れないためなのです。友だちを忘れるというのは、かなしいことです。だれもが、友だちらしい友だちをもっているわけではなりません。それに、ぼくも、そのうち、数字しかおもしろがらないおとなと、同じ人間になるかもしれません。それだからこそ、ぼくは、えのぐ箱とエンピツを買ったのです。六つのとき、ウワバミの内がわと外がわをかいたきりで、ほかには、なんの絵もかいたことのないぼくが、いま、この年になって、また絵をかくのは、なかなかのことです。



たいがい僕は「悪いね。」何て思いながら寝転がったまま星の王子さまを読みすすめた。3つくらいの時に親に読んでもらってから、多分6回くらい読んだと思う。